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リハビリ日記2008年11月号

ファンの熱い励ましに家族のことを思い出した

 8月31日に『創』主催で、僕の誕生パーティを開いていただいたのだけど、予想外に大勢のファンが集まってくれた。
 出所後、妹たち以外にはあまり人と話す機会もない生活をしているので、3時間のライブはかなり疲れたけれど、おおいに励まされたのは事実だ。
 会場には昔よく顔をあわせたファンの女性が何人も来てくれていた。あんな事件を起こした僕のことを見捨てずにいてくれたことがありがたかったので、そのうちの一人に「どうして俺のことが嫌にならなかったの?」と訊いたら、「田代さん一人が悪いんじゃないから」みたいな返事をしていた。僕の隣にいた『創』の篠田編集長は「いや田代さんが悪いんです」と愛情ある(笑)突っ込みを入れてくれたけれど、その子は「人間だから間違いはあるし、必ず立ち直ると信じて待っていました」と言ってくれた。

 ファンのそういうありがたい声を聞きながら、僕はふと離婚した妻のことを思い浮かべた。「かみさんはどうしてそんなふうに待っていてくれなかったのだろうか」と。僕が一番愛情をそそいだ女性はどうして待っていてくれなかったのか。そう思うと、淋しい気持ちになった。
 もちろん妻は僕と一緒に世間の非難にさらされたわけだし、いわば当事者として辛い思いをしたわけだから、ファンとは違うということは重々承知している。でも、そう理解していても淋しい気持ちは押さえきれなかった。

刑務所で離婚届けにハンコを押した瞬間は…

 もう正式に離婚してしまったから、未練は断ち切ったのだけれど、刑務所にいた時は、妻が夢に何回も出てきた。僕の大好きな映画「幸せの黄色いハンカチ」にあったように、妻が物干しに黄色いハンカチをいっぱい干して待っていてくれないだろうか。もし許してもらえるなら、そんな願いを書いた手紙を刑務所から出そうかとも考えた。逮捕直後から妻が離婚を望んでいるのは知っていたから、今さら元に戻ることはありえないとわかってはいたけれど、そんなかすかな希望がずっと頭を離れなかった。
 刑務所で何度も見た妻や子どもたちの夢は、昔ラスベガスに一緒に旅行したりという楽しい思い出ばかりだった。ラスベガスに行った最初の夜に、妻と口論になったことがあって、あの時、僕があんなことを言わなければ、もっと楽しい旅行になっていたのに……とか、いまさら後悔しても仕方ないことを考えたりもした。
 刑務所生活は本当につらいもので、何もかもが絶望感に閉ざされていた。希望が何ひとつない。そんな中にいると、昔の楽しい思い出くらいしかすがるものはなかった。家族が待っていてくれたら何とか生きていけるのだが……とそんな現実離れした願望にとらわれることもあった。ウソでもいいからそう思いたかった。そう思わないと生きていけない気がした。
 しかし、現実には昨年末、正式に妻から離婚届けが届けられた。しかも、本人でなく代理人と称する弁護士さんがいきなり刑務所を訪ねてきた。その時には、もう俺はどん底だという気持ちになった。この書類にたったひとつハンコを押すだけで、俺の最後が決まってしまうんだと淋しい気持ちになった。
 代理人と称する人は「これにハンコを押して送り返してください」と言って離婚届けを置いていった。刑務官が気をつかってくれて、人が見ている場所では辛いだろうから、と別室に連れていって、ここでハンコを押しなさいと言ってくれた。ハンコを押しながら、ああこれでもう全て終わったんだと思った。
 離婚届けの書類には妻のハンコはなく、僕がハンコを押すべき欄に鉛筆で丸く印がつけてあった。妻のハンコが先に押してあったら、もっとショックを受けたかもしれない。
 年が明けて弁護士さんから届いた手紙には、離婚が正式に成立しましたと書かれていた。そして「奥様からの伝言です」として「もう二度と道を踏みはずさないように頑張って下さい」と書いてあった。でもそれも妻の自筆ではなかった。できれば最後くらい直接話し合いたかった。夫婦ってこんなものなのかな、と思った。

誕生日に届かなかった息子からのメール

 出所後、一度だけ息子と電話で話をした。妻とは離婚したけれど、息子や娘とは肉親のままだった。息子は今度会いに行くから、と言ってくれた。でもそれから一度も電話はなかった。
 ちょうど4年前、僕の誕生日に家族からそれまではいつもくれていたメールがひとつも来なかったことで、家族との関係が断ち切れたことを痛感させられた。もうどうにでもなれという気持ちになって、薬物にもう一度手を出すことにもなってしまった。
 そして刑務所での務めを終えて、この8月31日が最初の誕生日だった。その日をファンとともに祝いたいと誕生パーティーを開いてくれた篠田編集長は当日、「今日中に息子さんからメールが来るといいね」と言ってくれていた。でも今回もメールはとうとう来なかった。
 恐らく息子なりに悩んだのだと思う。離婚した母親の手前もあるし、事件後騒がれ続けて嫌な思いもしてきたから、誕生パーティーという大勢人がいるような場にそんなことをするのがいやだったのだと思う。
 でも、誕生パーティー自体は、あんなに大勢の人が来てくれるとは思っていなかったのでうれしかった。俺のことを心配してくれる人がまだそんなにいるのだという現実を目にして、改めて自分も頑張らなくてはいけないと思った。刑務所にいた時には、もうどん底で、世の中全てが自分に背を向けているような気さえしていたから。
 パーティーでは、Youtubeで流れていたという僕の映像が映された。初めて見るものも多かったけれど、なかにはものすごく手をかけて映像を作りこんでいるものもあった。からかいの気持ちもあると思うけれど、それにしてもこんなに手間をかけるというのは、どうなんだろうね、と思った。そんな映像の才能があるんだったら、もっと別のところに使ってほしいとも思った。
 会場のファンたちに好評だったのはかつての僕のテレビCMとか、ラッツ&スターの歌だった。僕も自分のCMの映像とかはかなり保存して持っていたけれど、そこにも入ってないようなCMもあって、こんな映像、誰が保存してたんだろうと思った。それらを見ながら、ああ俺って昔はがんばっていたんだなあと思った。今の自分と比べて悲しくもなった。
 会場に来たファンからたくさんプレゼントをいただいた中に、俺の昔の番組とかを録画したCD−ROMもあって、後で見たのだけれど、アマチュアからデビューした頃、「ファイティング80」という番組に出て、宇崎竜童さんにインタビューされている画像もあった。僕自身も持ってないようなもので、よくこれを保存していたなと驚いた。
 それを持ってきてくれたのは男性ファンだったけれど、あの誕生パーティーに男性客が多かったのには驚いた。僕のファンには男性も多かったのだけれど、ファンレターをくれたりファンでハワイツアーに行ったりする時来てくれたのは女性ばかりだった。熱烈な男性ファンにはあまり会ったことがなかったので、あれだけ集まったのには驚いた。僕がCMに出ていた森永パックンチョのパッケージに僕の顔をコンピュータで書きこんで持ってきた青森から来た男性もいて、よくそこまでやるものだと感心した。

集まったファンには病んでる男が多かった!?

 でもあの誕生パーティーに集まった人たちは不思議な人が多かった。一言で言うと病んでいる人たち(笑)。一番驚いたのはアル中で、アルコールが切れた時に我慢できなくなって自分の額を包丁で切りつけたという男性。確かに額に傷が残っていて、あれは強烈だった。「田代さん頑張ってください」とか言っていたけど、自分のことよりもそいつのことが心配になって(笑)、「俺よりもお前が舞台に座れ」と思わず言ってしまった。
 それから、自分も薬物をやって逮捕されたという男性は、「田代さんはどうやって覚せい剤使ったのですか」と訊いていたし、そんなふうに心病んでいるやつが多かった気がする。そういうやつが、今の俺の気持ちを理解できるのかなと思った。
 パーティーの終わり頃になって、せっかくこれだけのファンが集まったのだから連絡を取り合って今後も集まろうとか言ってた男性がいたけれど、あんなに熱い男性ファンがいたのにも驚いた。こんな俺に対して女性ファンが同情してくれるのはわかる気がするけれど、男性はどういう受け止め方をしているのかなと不思議な気がした。
 昔、ラッツ&スターとしてデビューした頃は、俺らが不良っぽかったこともあって、ファンも顔に靴ずみを塗って見にくるとか、不良っぽいやつが多かった。警備員とけんかになったり、ステージ上に上がってくるファンもいて、コンサートが中止になったこともあった。俺も鈴木リーダーに一緒にバンドやらないかと誘われた時は実際に暴走族だった。男性ファンがあんなに集まったというのは、その頃を思い出した。

「そっくりさん」にも久しぶりに会った

 誕生パーティーでファンからたくさんプレゼントをいただいたけれど、「恥ずかしいのでここでは絶対に開けないで」とか言う女性がいたから、何なんだろうと思って後で開けたら、男ものの下着。でもそれってギャグとしてはごくフツーで、あんなに恥ずかしがるからもっとすごいものかと思ってしまったけどね。
 笑ったのが、あげるものがないからと言って、青唐辛子をくれた男。「これから飲み屋に持っていくつもりだったけど、ここであげてしまう」と袋に入った唐辛子をくれたけど、それもらってもどうするんだと思った(笑)。
 それからやっぱりタコを持ってきたやつもいて、これは「耳にタコ」のギャグだけど、もう聞きあきたって(笑)。それこそ俺の耳にもうタコができてる。
 でもあの誕生パーティーは、やる前は不安もあったけれど、やってみてよかった。もっと冷やかし半分の客が多いのかと思っていたら、確かにそういうやつもいたかもしれないけれど、ほとんどの客が熱く励ましてくれた。
 田代まねしという芸名で僕のそっくりさんを名乗っている男もパーティーに来てくれて、久しぶりに会った。彼は昔、僕の事務所に「田代まさしさんのそっくりさんをやりたいんですが」と連絡したら、「君が何か問題を起こしたら田代に迷惑がかかるんだからしっかりしてくれないと困るよ」と言われたそうだ。パーティーのトークでその話が出た時には、問題を起こしたのは俺の方で、「逆になっちゃったねえ」と大笑いだった。

刑務所の中は地獄だが外に出ても地獄だった

 出所して間もなく3カ月になるけれど、最近は睡眠剤をほとんど飲まなくても眠れるようになったし、体調もだいぶ回復した。昔のラッツ&スターの仲間にも連絡がとれたので、近々、鈴木リーダーにも連絡するつもりだ。
 先ごろ、田代まさしであるかのように装ってブログを立ち上げたやつがいて、それにファンたちがたくさん熱い書き込みをしたというのでネットで話題になったのを聞いた。暇なやつがいるもんだと思うとともに、そんなにたくさんの書き込みがあったというのにも驚いた。事件を起こして芸能界を去って、すぐに忘れ去られる人もいると思うし、僕も刑務所にいた時には、自分は世の中からもう忘れられた存在だと思っていたから、出所してからのファンの温かい励ましには本当に勇気づけられている。
 妹がミクシィのファンサイトによくアクセスしているけれど、ラッツ&スターを再結成してほしいと書き込んでいるファンがいまだにいるそうで、そんなことは現実にはありえないけれど、そう言ってくれるだけでうれしい気持ちになる。
 ただ一方で、現実が甘くないこともよくわかっているつもりだ。まだ住所不定で妹の家に世話になっているし、携帯電話の契約もできないでいる。仕事もしていかないと生活できないのだけれど、それも今のところ全くあてがない。もう52歳だからどこかに就職するといっても簡単に見つかるとも思えないし、刑務所から出はしたけれど、先のことを考えると、見通しは全くたっていない。
 ようやく何かやって生活を立てなければと考えるくらいの意欲は湧いてきたのだけれど、今のところは将来のあては何もない。予想はしていたけれど、刑務所から出ても社会復帰は大変だ。
 刑務所の中にいても地獄だったけれど、出ても地獄というのが、今の実感だ。 (談)

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